一日一恥トレーニング

自分らしく、自分をもっと表現して生きていきたいのに、怖くて、ドキドキして、手が震えて、頭が白くなってきて、ダメな自分をさらしたくなくて、抑えてしまう、そんな私です。でも、そんな自分にも、もう疲れました。これからは、怖くても、ドキドキしても、ダメな自分をさらしても、勇気を出して自分を表現していきます。一日一回、今までの自分だったらしなかった、ほんとはしてみたいこと、チャレンジして、恥をさらしてみたいと思います。やっぱり自分はダメだと、へこたれるか、行きたかった世界に進めるか、実験してみます。

Day24歌とウクレレデビュー。

今日は記念すべき日。初めて家族以外の人たちに、歌とウクレレを披露した。勉強会の休憩時間におもむろにやったので、本当に聞いてくれてる人は、数人だったけど、見守ってくれた仲間の存在がありがたいし、チャレンジした自分をたくさん慈しんで、今日はゆっくり眠ろう。

Day23 お弁当と女の価値

今日のチャレンジは、友達にお弁当を作ったこと。家族は平気だけど、友達は、チャレンジ。


お弁当づくりって、何を何品つくるか、味付け、彩り、切り方、詰め方。色んな要素があって、その人の料理に対するあり方が、よくわかるんだよね。だから、自分への評価も気になってしまう。

でも、低い評価つけられるのが怖いから作らないのもありだけど、今日は、なんだか、喜んでくれる顔がみれたらうれしいな、と思って作った。時間なかったとか、まずいよ、とか、下手くそだよ、とか、前置きして不安を和らげることもほとんどしなかった。そこそこの味って評価なら、それでもいいかと思えて。


自分がしたいからするから。そのチャレンジそのものに価値があるから、結果がいまいちでも、自分が味方だから、大丈夫。

Day22歌とウクレレ

少しずつやっていく。

おとついは、ボイストレーニングの先生に歌とウクレレを披露した。それだけでも、私にとっては立派なチャレンジ。今度の週末は、勉強会で集まりがあるので、そこで、おもむろに、歌とウクレレを披露する予定。

歌の練習も続けて、カラオケダムで、募集してるオーディションに応募するつもり。

歌とウクレレで自己表現していく。

今のわたしは、それがとってもしたいこと。

Day21歌とウクレレ

心から歌を歌うこと。

ウクレレを弾くこと。

家族や友達や仲間や人の輪の中で歌いたい。

生活の中で歌うことを根ざしたい。

根を丈夫に張るために、太陽の光を浴びて、雨に降られたい。

その花を愛でて、実を味わいたい。


人から興味を持たれなくても、飽きられても、笑顔がなくても。


自分がしたいチャレンジをしてる。

自分の心がよろこんでる。


それで光とし、栄養とし、のびのび過ごしていくんだ。

Day20

緊張。


人がこわい、自分への合格のハードルが厳しいっていう、心の問題もあるかもだけど、ただ不慣れっていうことも大きいよね。やっているうちに慣れてくる。怖がってやらないか、たまにしかやらないから、その「たまに」が、怖くなる。付き合いたてのドキドキが、倦怠感になるように、慣れたら緊張感は、少なくなる。

新しいこと、本当にやりたいことは、始めはきっと怖いよね。多かれ少なかれ、誰だってそうだ。

「こわい」をやらない言い訳にしない、心の問題にしない。してもいいけど、本当にやりたいことなら、こわくてもやってみる。期待通りじゃなくても、チャレンジした自分を大事におもう。慣れるまで、やってみる。まずは、どんなにダサいとこになっても自分を慈しむと覚悟して、

始めの一回を飛ぶんだ!

Day19 部屋を整える意味

散らかっている部屋がきらいで、物も必要なものだけ、シンプルに暮らしたい。片づけが好きなのか、片付けができている自分に価値を感じているのか。

疲れてるのに、自分に片づけを強いている時もある。片付けられていても、散らかっていても、それはただの状態であって、私の価値とは関係ないと、頭ではわかっている。が、イライラしながら片付ける所をみると、きれいな空間に住んでいる私には価値があるが、散らかったままにしている自分の点数はそれほどでもないと、自分にきびしくあたってるんだろう。散らかしているのは私だけではないのに、と家族にもイライラのプレッシャーを与えてるんだろう。

片付けたい時は片付ければいい。片付けたくないときは、休むか、協力を頼めばいい。片付いていない部屋で生活していても、幸せを感じていてもいい。

Day18

物悲しさで、ざわざわしてた午前中。誰かにLineしたい、ざわざわを紛らそうとしてたけど、しっかり感じてみることにした。
今日は母の手術の説明の日だったんだ。姉に付き添いを任せて、出向いていない事に罪悪感を感じていたんだ。そして、母もだんだんと年老いて、弱っていくのかな、と親を失うかもしれない喪失感で悲しくなってたんだ。久しぶりに電話をすると、元気そうでなによりだったけど、質問をしても、長々と興味のない修飾いっぱいの説明にイライラ。そうだったな。この長ったらしい説明が嫌いだったんだ。以前は受話器を話しながら聞いたふりするか、イライラをぶつけてたけど、今日は、質問を切り替えて、会話の運転のハンドルを自分が握るようにした。
小さな所を意識して、自分を生きるようにしよう。自分を信頼して生きていこう。